REGULATOR WEB STORE



 
HISTORY OF REGULATOR


 



1999


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京都出身124(細見篤史)と奈良出身のツカサ(長野司)が出会った
大阪心斎橋のとあるSHOPで勤めていた事を通じて知り合う
21歳と17歳の普通の若者だった。





それまでの二人は学校を出るものの毎日昼夜逆に生活したりスケート浸けの日々をおくったり
海や山や地下で働いて過ごし、たまに河原で履歴書を書きながらビールを飲み、
ラジオを聞いたりオーリーの練習をしたり腕立てをしているだけだった。

*写真の司は何のトリックをしようとしていたのかはいまだ不明





スノーボードは地元で1番に始めていたと思う。
田んぼに囲まれた田舎で育ったからまだ珍しかった。





124はさかのぼる事さらに昔、

小学3年の春にマラソン大会での優勝を親と約束し、スケートボードを勝ち取った、
映画「ポリスアカデミー4 」のワンシーンでスケーター4、5人がトリックを決めながら
街を走りまくるシーンを観てどうしてもやりたかったからだ、
といってもオーリーの「オ」の字も知らない頃の話。

VOLCOMとは中学生の後半頃に地元、京都 宇治にある"Ned's / ネッズ"ってサーフショップに
通ってるうちに出会った、近くにある団地のサーファーの兄ちゃんが着ていたんだ、でも
なぜかLAのスケーターギャングのブランドだと聞かされて、そう思い込んでいた

それはそれでかっこ良すぎる響きだ。

嘘を教えたのはオーナーの石橋さんだったかも。





話は飛んで、ツカサの兄(右)は結構ハードコアなサーファーだったそうだ
つかさは下の写真をごらんの通り。





中学生の頃のツカサは昼間は野球に明け暮れ夜は単車かスケートにひたすら乗った、
学校は大好きだったが寝るか仲間と会う為の場所だった。


高校へは少しの間通ったが気がついたら校門の前で教科書を燃やし帰宅していた。(実話)

付け加えるとすれば、

累積点数46点というハイスコアはなかなか出せるもんじゃないってこと。





その後、司はしばらくの期間、人力車で人を運んでいた。
*お母さんを乗せた最高の写真 その後 頑張りすぎて身体を壊し退職


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司が人力車を走らせていた頃、124は海で毎日働いてるふりをしていた


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ほとんど海に入るか筋トレしかしていなかったかもしれない。

そんな生活の延長で2人は出会う、
大阪のアメリカ村っていう小さな街にあるSHOPで。

出会ってからの2人は常に行動を共にするようになり
会わない日は1年間で2、3日だった。





ノリと適当さで毎日をエンジョイできてたと思う、
お金は全然なかったけど毎日笑っていた。

有名でも何でも無いDJとMCとしてパーティーを結構やった、
この頃 沢山繋がりもできた。


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当時一緒にやってた仲間で今も音楽に関わっているメンバーはなかなか有名になった。

そうしているうちに自分たちの好きな事を通じて人生をエンジョイする為の方法を
考えるようになる、毎日毎日頭はその事で常にいっぱいだった。


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結論は


自分の好きな事、夢で飯を食う事
自分たちのSHOPを持つ事だった


店舗名は二人で考えた、REGULATORには「規制する人」
「カッコいいとカッコ悪いを区別する人」という意味を持たせた。

本来ならREGULATEとなる筈だったがチョコレートみたいだし
RとRで挟む感じが気に入ったので「REGULATOR」に、
でも日本語では「レギュレイト」にしたかった、結局そうした、だから名前は



「REGULATOR」と書いて「レギュレイト」


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金持ちの親も、チャンスも、賢い頭も無い団地っ子2人

無い知恵を散々しぼっていろんな人たちの力を借りたり
うまく使われちゃったりしながらなんとか立ち上げたのが2002年2月


立ち上げるまでのエピソードを一つ

「124君は経営の勉強をして欲しいです、僕は2年間自衛隊に行って貯金してきます」


司は落ちた、


プランAはあっさり崩壊したんだ。

2002

 
REGULATOR OPEN



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たった6坪の手作りSHOP、什器は手作りだったが
毎日最高に楽しかったしそれでよかった。

はっきり言ってボンボン息子や金持ちばっかり有利に世の中できてんな、
なんてスネてたのもこの頃。

それと同時にVOLCOMのコンセプト

「YOUTH AGAINST ESTABLISHMENT / 社会体制に反発する若者」

を知ったのもこの頃だった、VOLCOMをそれまでも大好きだったけど
コンセプトを知ったのは遅かった、自分達にピッタリだしクールだと思った。

そしてまたVOLCOMが好きになった。

SHOPは当時、セレクト&オリジナルブランドでの商品構成だったが
オリジナルの参考にしていたり自分の店で稼いだお金で買う服のはVOLCOM。

自分の店で販売できるとか、したいなんて思いもつかなかった

理由は、

ただのVOLCOMファンだったから。


 
2003





2号店は124が京都出身という事もあり京都三条にOPEN

やがて自分たちのあこがれであるVOLCOMを自ら取り扱いたくなる
取り扱いをさせてもらえた、でもすぐこう思った。


「VOLCOMは僕達にとって夢が詰まったブランドだ」って。

さらに日本で伝えていく為にはVOLCOMオンリーSHOPをするしか無いと思った

そして本格的にVOLCOM SHOPを立ち上げる事を考え始める。

インターネットで探しても探してもVOLCOM SHOPが日本に無い

凄く焦った、日本で初、僕たちがするしか無い、
そう思うのにそんなに時間はかからなかったし

日本に同じ事を考えている人は沢山いるはずだと考えが巡り


毎日毎日焦りと緊張で寝れなかった、本当に。

同時に、この頃、最悪な事にストリートファッションが低迷していて
手持ちのお金なんて全然なくなってた、取り扱いブランドに謝って
支払い期限を伸ばしてもらっていたほど困っていた。

でも悩んだが残りのお金を全部VOLCOM SHOPを立ち上げるために使おうと思った。


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この頃僕の考えを後押ししてくれたのが新潟での籠もり帰りの仲間、下村崇之。

山帰りのこの男に

「124君イイゼ!絶対やった方がイイゼ!」

なんて後押しされると説得力しかなかった。





調子に乗って買った車も売ってお金にかえた。

相棒のツカサも納得した。


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そしてまた2人は一文無しになった、でも楽しかった。

その決断も思い返せば勢いとノリだったような気がする。

それでよかったと思う。

この決断に至るまでの2年間ぐらい、給料なんてゼロで、定期代だけ工面して生活してた
実家や友達に食べさせてもらって、結構キツかった。

本当に本当に色々あった数年間だった。


2007


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そうして日本初のVOLCOMオンリーショップOPENが実現する、

手持ちのお金を全部突っ込んで借りれた中古の店舗を全て自分達で改装した。

OPENの時点で一文無しに近かった、だから
連日来店して買ってくれたみんなへの感謝は一生忘れない。

お祝いでもらったビールも本当に本当に美味かった


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と、いっても...

この時点での店舗名は「REGULATOR OSAKA」。日本に直営店が無かったし、
できる訳がなかった「VOLCOM OSAKA」とはならなかったんだ、当たり前だ。

でもスンゲー悔しかった、自分がそういうビジネス的な事を分かってないって事も、
自分達のやりたい夢の詰まった店をあーだこーだ言われるのが悔しかった本当悔しかった。

でも、VOLCOM JAPANの多大なるサポートと理解があってスタートする事ができた。

なんとかOPENさせてもらえたって訳、この頃でも
VOLCOMの事、全然分かってなかったんだと思う。






OPENと同時に今では第三の男となり後に堀江店の店長となる
TAIRAがアルバイトとして入社、最初は酷いバイトで毎日頭にキテいた

でも今では自慢できる男になった、ようやくREGULATORは3本柱となる。


今考えると人を育てる器では無かったと思う、

相棒 司は相変わらずいいやつだった。



2008


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京都店もリニューアル、内装もVOLCOMの協力のもとに変更。





VOLCOM専用の什器を5個も提供してもらい最高だった、引き換えに
店は相当狭く感じるようになってしまった、完全にミスった。

でも、それ以上にVOLCOMの什器がうれしかった。


2009





OSAKA店の看板や店舗の外装を新しくVOLCOM 本社から提供してもらった。


「REGULATORってちゃんとVOLCOMを分かってる連中がやってるSHOPなんでしょ!?」


って感じでUSの本社にも認められたような気がした、
僕達の店用にUSがデザインしてくれたからだ。


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この頃やっと分かってきだしたのかもしれない

Volcom Japanと結構色々やり合った、この頃があって本当に良かったと思ってる
大好きなブランドに賭けた人生がこの頃から上向いてきたんだ。


...........................


ここまでのほとんどは2009年に書いたもの。

その後、僕達はというと...

*あえて同じ文調で追記しました



2010


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「REGULATOR NAGOYA」を名古屋市栄にOPEN

この日に振舞ったビールの量は確か150L


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200~300人が店を出入りし続けてた

近くの若宮スケートパークでVOLCOMのライダー達と大会をやって
1日中パーティーだった、名古屋の連中はめちゃくちゃ呑む事がこの日、よく分かった。

名古屋には土地勘も無かったし、たいしたリサーチもせずOPENした、
山田一登っていう大好きな友達がいたから、理由はそれだけ。

僕たちにはそれが一番大事なんだって事がはっきりしていたから心配なんか何にも無かった。


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Photo 2007 Kazuto . Tsukasa

店長には10年以上の付き合いのある信用できる仲間を抜擢した、

そこでちょっとミスった。

人生突然とんでもない事が起こるもので「面白い」そう思えるのは最近の事。

OPENするにあたってローカルスケーター、
特にJesse Sugiyamaには本当に感謝している。


2011


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本社OFFICEを立ち上げWEB STOREが本格的に始動

会社らしくなってきた、といっても大きめのマンションを借りただけ、
数日に一度TAIRAが朝、シャワー室から出てくる所か寝袋で寝ているのを確認。

第四の男、KOSUKEが下働きをはじめていた、僕の弟であり相棒の司と
同じ歳だったKOSUKEの給料は人にいえないレベルに低かった、わざとだ。

弟だからといって簡単に認めては司との関係が壊れると思ったから。

しかしその後18ヶ月間その給料で絶え抜いた、司が社員入社をあっさり認めた。

「あれ?まだ社員じゃなかったんですか?」と。



2012


REGULATOR 10th Party Photo by nobby  091


10周年を迎えBIG PARTYを一発。

最高だった、500人ほど来てくれてミナミの先輩達や大事な CREW達はほとんど全員集合だった。

僕の親も司の親も、かつて2人で夜な夜な遊んだクラブで呑んでいた それは最高の光景だった。
このパーティーまでのプロセスには 植田研一(DJ KEN)のサポートが無ければ成り立たなかった
マイメン SHINGO★西成. SPINMASTER A-1. BananaHausCrew. GURI君本当にありがとう。

同年


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「REGULATOR KYOTO」を移転拡大

このパーティーも150Lの振る舞いビールで もう無茶苦茶。
テナントビルの関係者とチョット変な感じになった事は記憶に新しい。

もうこのころには僕達らしさは出来上がってた、
絶対いいパーティになるってわかってたんだ。



2013



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VOLCOMとのライセンス契約により正式に「VOLCOM STORE OSAKA」の
経営権を獲得、正式契約し直営店として堂々の新規オープン。

夢の一号店「REGULATOR OSAKA」は閉店した、

伝説のSHOPの仲間入りを果たして…そう思ってる。
VOLCOM JAPANの皆さん、特に代表 ”Eddie Miyoshi”には感謝してもしきれない。


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オープニングパーティーには800人

REGULATORを始めてから1番のパーティーになった。
あの日からVOLCOMへの責任は今までの何十倍にもなったと思う。
REGULATORを始めてから11年が経っていた。


2014



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「VOLCOM STORE NAGOYA」の経営権をVOLCOMと正式に契約。

「REGULATOR NAGOYA」を閉店、

直営店として大改装の後、再オープンをした、
人生とんでもない事になってきたなと思った。

一日中、凄い人だった。

なによりREGULATOR CREWのみんなが来てくれて
最高だった、みんな家族なんだと再確認できた。


VOLCOM STORE NAGOYA


夜中まで店で続いたパーティーに苦情はゼロ、
奇跡的だった、店の隣はマンションなのに。

それは名古屋に転勤してからずっとKOSUKEが近隣の方達と
良い関係を築いている証拠だったと思う。


2015



TSUKASA x ATSUSHI Deck


司は僕より早く親父になった、名前は "篤司”だ。

いつだったか忘れてしまうぐらい前に多分呑みながら

「子どもができたら名前は篤司にします!篤史君の篤と僕の司で篤司です!」

って言ってたのはよくよく覚えいて、チョットこれ、
本当になったら凄いなって思ってた。

それも現実になった。

その後、


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4店舗目となるSHOP「VOLCOM STORE EXPOCITY」をOPEN

店長はもう勤めて何年目なのか分からなくなったTAIRAだ、
本人もその気で先に引っ越ししてた。

OPENにたどり着くまで色々あった、
スムーズにいく事なんてないし気にしないけど、ハイストレスな1年だった、
気がつけば仕事をする相手が仲間から偉い大人ばっかりになっちゃったからだ。

そんなちっぽけな大人の忙しさを忘れさせてくれたのはGRAND OPEN日に
朝5時から並んでくれた仲間達、やっぱり自分たちがずっとずっと
大事にしてきたREGULATORファミリーだった。


VOLCOM STORE OSAKA EXPOCITY : DAY ONE



OPENと同時にゾーンに並んでいた全員が一気に雪崩れ込んでくれた時は鳥肌もので
担当者さんも涙が出そうだったって言ってくれた、僕たちのやってきた事が伝わったんだろう。

こうしてVOLCOM STOREを3店舗、REGULATORを1店舗経営する事になった
でも、僕たちにとって何が変わったのかって言われても、出てこない、


いつも通り「みんなの為にベストを尽くす」


これしか取り柄が無いし、何よりこの考え方がベストだと思ってやっている
夢で生活しようって決めた2002年にOPENしてからずっと。


すごく長くなったけど


何も無いところから立ち上げて、また何も無くなって、今日にいたる。




124&司  KZT撮影 2009年


結局はここに綴ったようなどこにでもいる普通の二人が始めた小さなSHOP

もし転げ落ちても爆笑人生、そんなふうに今もどこか考えています
そして、実をいうとVOLCOMの創始者2人と自分達2人を被らせています

そうするとなんだかイケそうな気がするから。

ゆるく楽しく適当に、人生を楽しく愉快に笑っていけたら最高っ!

てな感じだった僕達も今は沢山守るべき家族や仲間ができて
誰かの為に一生懸命仕事をするようになった

それはごくごく最近の事。

規模が大きくなるにつれ変化する僕達は、偶然出会った人達に
毎日守られているからこそできた事ばかりです、

ハードな人、メローな人、引っ張ってくれる人、
足を引っ張る人、新しく出会った人、死んじゃった人。

無駄な出会いは無かったしこれからも出会いに無駄は無いと思い続けます、
全ての人に「ありがとうございます」って言えたらいいねと、自分に言い聞かせて。

そして今日もマジメに頑張る事が一番のハードコアだと思い頑張ります。


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僕達はまだ夢の途中

こんなにも魅力的な人生に感謝して
楽しみながら成長したいと思います。

大企業ではありませんが時には大失敗とご迷惑をおかけしながらも
自分たちを皆さんの人生の一部にしてもらえるように努力する、
そんな人間達が集まった会社がREGULATORです、そう信じています。

僕達をこれからもどうぞよろしくお願い致します。


このくだらないヒストリーは今日も続いています


自分の好きな事、夢で飯を食う為に。



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株式会社REGULATOR
代表取締役 細見 篤史

2009年作成、2016.3月追記.



この生意気な文章を笑って読んでいただけたら幸いです。
 


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